社会の自動化を推進するマルチエージェントシステム
概要
マルチエージェントシステムとは
マルチエージェントシステム (Multi-Agent System、以降MAS) とは、考える主体である「エージェント」が複数存在するシステムです。「考える主体が複数いる」と聞くと、それらがバラバラに考えた時に、システムが全体として正常に動作するか心配になります。MASではエージェントが自律的に動作しつつも、互いに「空気を読んで」行動します。ここでいう「空気を読む」とは各エージェントが他のエージェントとコミュニケーションをしたり、他のエージェントの行動を観察・予測したりしながら、自身の行動を決定するということです。MASはまさにこの「空気の読み方」が研究されているAIの分野であり、複雑で大規模な問題を取り扱うのに適した手法と言われています。
例えば、複数のドローンを用いて空中に図形や文字を描くドローンショーをMASを使って実現すると、各ドローンがエージェントとなり、近くのドローンとお互い意思疎通して空気を読み合うことで、それぞれが適切な場所を飛行し、全体として複雑な図形や文字を描き出すことができるのです。
また、MASではエージェント同士が空気を読んで「協力」するだけでなく、場合によってはエージェント同士が自身の利益を優先し、相手の出方を読みながら「敵対」する方が、システム全体として上手く機能する場合があります。例えば、フリマアプリの売買などの値下げ交渉などではこういった敵対的なMASを用いることで交渉の自動化をすることができます。
MASの歴史は古く、1980年代に複数の人工知能を用いて問題解決をする分野として研究がされ始めました。1990年代にはMASに関する国際会議が多く開催され、世界中で盛んに研究されるようになりました。2000年代以降には産業応用のための研究開発が広まり、現在では機械学習との組み合わせにより、さらに知的なMASの探求がなされています。
要素技術
MASは先に述べたように、近年では、機械学習技術と組み合わせた研究が盛んになってきています。また、コンピュータ性能の飛躍的な向上や、通信やセンシング、ロボット制御技術の発展により、以前までは実用化が難しいとされていたMASによる複数台ロボットの制御に関しても、再び注目が集まっています。
ここでは特に、強化学習とMASの組み合わせ、MASのロボティクス応用について説明します。
強化学習とマルチエージェントシステムの組み合わせ
強化学習とは、機械学習の一つでありエージェントが試行錯誤を重ねて行動パターンを学習する手法です。エージェントの行動に対して、「報酬」と呼ばれるご褒美を与えることで、エージェントは色々なパターンで行動しながら、より多くの「報酬」を獲得する行動パターンを学習していきます。
この強化学習と、MASを組み合わせた「マルチエージェント強化学習」は、複数のエージェントが相互に作用して、各エージェントが同時に目的達成のための行動を学習する手法です。各エージェントが経験した事を互いに共有し、システム全体を同じ方向にレベルアップさせる手法や、それとは逆に、各エージェントが学習したことを共有せず、各々独自の方向性にレベルアップすることで、上手く役割分担ができるようになり、結果として全体システムがレベルアップする手法など、様々な手法が提案されています。
近年ではマルチエージェント強化学習で学習した複数のエージェントにコンピュータゲームをさせたところ、エージェント同士が協力して上手くプレイできたという研究事例もあります。
マルチエージェントシステムのロボティクスへの応用
ロボットは精度の高い作業、長時間の作業、危険な場所での作業などが可能であるという利点から、産業分野に多く導入されています。近年では配膳ロボットや掃除ロボットなどが普及し、ロボットが身近なものとなってきました。
こういったロボットの行動を決定するAIにMASを応用すると、各ロボットが互いに状況を捉えながら、独自に考えて行動するため、何かアクシデントがあっても、素早く状況に応じた行動をとることができます。例えば、複数台のロボットのうち、何台かが故障したとしても、その状況に合わせて残ったロボットが連携し、仕事を継続することができます。
期待と課題
MASが広く使われるようになることで、複数台ロボットの連携だけでなく、エージェントが人間の代わりに話し合いをしてくれるようになります。複数のエージェント同士が異なる意見を交換し合うことで個人間や企業間の交渉・調整など難しい問題に対して、公平性を保った妥協点を見出すことができるようになると期待されています。
対して、各エージェントが他のエージェントとの関係性によって行動を複雑に変化させるため、「AIを利活用するシステム」が出した結果の理解が困難な場合が多いという課題があります。これについては、「AIを利活用するシステム」の説明性を高める技術(XAI)などを使い説明を補う必要があります。
未来像
MASと強化学習やロボティクスをかけ合わせることで、実現される未来を想像してみます。
大量の水中作業ロボットをMASで連携させることで、効率的に海中を探索し、プラスチックゴミの回収をしたり、海洋の生体調査をしたりすることが可能となります。これにより、世界中の海からプラスチックゴミを無くし、水産資源の持続可能な利用を実現することができると考えられます。
また、この考え方を宇宙作業ロボットに応用することで、地球の衛星軌道上のゴミ(スペースデブリ)の除去が可能となり、宇宙開発の発展を加速することができると考えられます。
活用事例
MASは、あらゆるものを「エージェント」とみなすことで、様々な分野での活用が期待されます。
以下は、MASが普及した世界で実現する活用事例の一部です。
<交通管制・自動運転>
自動運転や交通管制の分野でもMASを応用することが考えられています。同じ地域にある複数の信号機とそこを通行する自動車をエージェントとして考え、信号機同士を互いに連携させながら上手く信号を切り替えたり、自動車が信号機と連携し、空いている方に経路を変更したりすることで、地域全体の渋滞を緩和させます。
また、自動車の停止回数を考慮して、MASで最適化させることにより、渋滞緩和だけでなく自動車のブレーキ回数の減少に伴う環境負荷低減も期待されています。
<物流>
高齢化や感染症拡大による影響で宅配の需要が高まったことにより、運送業の人手不足が課題となっています。この課題に対して、自動運転トラックや、運搬ロボット・ドローンの活用が注目されていますが、ここにもMASを応用することが考えられています。
例えば、トラックをエージェントとして考えた場合、荷物の重さや大きさと、トラックの積載容量・走行ルートから手配するトラックの種類・台数を最適化し、リソースを有効活用することができます。
また、複数の運搬ロボットやドローンをエージェントとして考えた場合、急ぎの集荷の依頼が入ったときに、配送中のロボットの中からどのロボットが集荷に向かうべきかを、集荷先への近さや荷台の空きなどを考慮し、それぞれが判断することで迅速にお客さんの依頼に対応することができます。
このようにMASを応用し、ロボットやドローンによる物流をさらに最適化・効率化することで、人の少ない地域を取り残すことなく、物流分野の人手不足を解消することが期待できます。
物流業界における自動運転トラックやロボットなどの活用は、2022年4月に成立した「道路交通法の一部を改正する法律」や、経済産業省が推進するロボットフレンドリーの取り組みの後押しもあり、さらに加速していくと考えます。
TOPPANデジタルの取り組み
近年、人口減少や超高齢社会を背景に、労働力不足の深刻化や、地方における生活インフラ・サービスの縮小化が課題となっています。これらの課題に対し、自律動作ロボットによる人の業務代替や自律走行搬送ロボット(AMR)による配送・移動式販売、高齢者向けパーソナルモビリティロボットによる輸送など、多様なロボット活用が検討されています。
こうした動向の中で新たな課題が指摘されており、例えば中小規模の物流倉庫に対してロボットを導入する際は、スペースや費用が限られることから、人とロボットが衝突したり、相互に作業の妨げになって作業効率が落ちるといったことが懸念されています。
このような課題に対しTOPPANデジタルは、MASを適用して、倉庫において人と協働する複数台の自律走行搬送ロボットの経路最適化システムを開発し、社内業務の効率化や、外販サービスとして展開していくほか、MASを活用したサービスソリューションを、物流・小売り・スマートシティ向けに展開していきます。また、AIとロボットの活用を推進し、産業と技術の発展に貢献します。
TOPPANデジタル有識者コメント
マルチエージェントシステムはAI研究の冬の時代においても基礎研究、応用研究共に数多くの成果が発表されてきました。一方で、そういった成果に対して、産業分野における社会実装の数が少ないため、まさにこれからマルチエージェントシステムをどのように社会の実問題に適用させていくのかを考えることが重要となっています。
TOPPANデジタルAI技術戦略室では、マルチエージェントシステムを活用した「人とロボットの協働」の実現をテーマに研究開発・社会実装を行い、より安全に、より効率的に人とロボットが働ける環境を提供し、物流、小売、BPO、セキュリティ、製造などの産業分野において、ふれあい豊かでサステナブルなくらしの実現に貢献します。
■編集者